色黒の豚

飛ばねえ豚はただの豚だ

私達の村

 ザンビアの都市部の近郊には、コンパウンドと呼ばれる地域がある。そこには、舗装された道路だとか、スーパーとかはない。代わりに、野菜や生活用品を売る露店が道沿いに並び、ちびっ子がタイヤやらペットボトルを転がして、遊び回っている。都市部では、スーパーの周りなどで、ストリートチルドレンが物乞いをしているが、コンパウンドでは目にしない。物乞いをする相手がいないか、あるいは共助があるのだと思う。

 ザンビアでは医療費は原則無償で、コンパウンドにも診療所がある。しかし、医療従事者の数が足りていないので、医療サービスの水準は一定ではない。診療所には、職員以外にボランティアの人が集まっており、5歳以下の幼児の身体測定や、エイズの簡易検査などを手伝っている。こうした業務は、完全にボランティアに頼り切りになっており、ボランティアの高齢化による人手不足が心配されている。ここで、ボランティアの人がエイズの簡易検査に回るのに、同行させてもらった。

 

 エイズ診療は、指先に針を刺し、その先から血液を採取して行う。この検査キットは、USAIDアメリカ合衆国国際開発庁)から寄付されたもので、検査にお金はかからない。検査結果を個別に伝えた後、コンドームの必要性を説明し、希望した人に無償で配布する。この一連の流れは、約15分ほど。数時間にわたって、コンパウンドを回る。ザンビアでは、全人口の11.5%(2017年時点)がエイズに罹患しており、陽性反応が出ることは珍しくない。

 このボランティアの人たちは、コミュニティの人に慕われている。彼等もそこに住んでいるのだ。集落を歩けば、人に名前を呼ばれ、笑顔で挨拶をする。持病の話を聞く。エイズ診療と言われると、仕事中の人も、髪を切っていた人も、嫌な顔一つせずに、手を止め、協力する。ボランティアの話を、真面目な顔をして聞く。

 ボランティアの中には、30歳近くの年の若い男性がいた。彼に、何故ボランティアを始めたのか、と聞くと、ここで生まれ育ったから。と答える。ここで、生まれ育ったから、ここを良くしたい。果たして、おれはそんな郷土愛を抱いたことがあっただろうか、と思う。

 

 世界遺産ヴィクトリアの滝があるリビングストンには、博物館があり、ザンビアの歴史を展示している。そこにある、「私達の村(Our village)」から、「彼等の街(Their town)」へ、という展示コーナーがあり、その言葉が印象的だった。かつての「私達の村」では、互いが互いを助け合って生きていたが、「彼等の街」では、人は番号付けされ、隣近所の人さえ知らない。そして、村から街、への流れはもう止められない、というようなことが解説されている。

 ナコリのボランティアの、その無償の善意を見る度に、ここは、その「私達の村」という言葉がしっくりくるように思うのだ。