色黒の豚

飛ばねえ豚はただの豚だ

羊の屠殺

滞在していた遊牧民のお爺さんお婆さんのゲルに、ウランバートルから友達が来たので、羊を一匹買ってもらうという話になった。肉にするところを見てみるか、と問われて、お願いする。

 まず群れの中から羊を選ぶ。羊の大群を追い立てて走らせ、活きのいい一匹を探し、狙いをつけ、首に向かって投げ縄を投げる。これが見事にはまるので、カウボーイみたいだなと感心した。投げ縄で捕まった羊は、初めは鳴き声をあげて、ジタバタ抵抗するが、無理だと悟るのか次第に大人しくなる。お爺さんは、捕まえた羊を後ろから抱えて、人のいない所に運ぶ。女の人や、子供に屠殺の瞬間を見せてはいけないらしい。おれはこれから死にゆく羊の命に対して、何かしら敬意を見せるべきであるような気がして、帽子を取った。

 初めは、二人がかりで、羊のお腹を見せるような体勢に寝かせる。そして、ナイフでお腹に素早く切れ込みを入れ、そこに手を入れ、動脈のようなものをちぎる。羊は、ビクッと痙攣して手足を振り上げるが、次第に動かなくなっていく。想像していたのと違い、血は殆ど流れなかった。絶命の瞬間は、劇的でなく、淡々と訪れて、おれは何だか感情が追い付かなかった。

 そうして、解体が始まる。ナイフを入れると、羊の皮は、簡単に肉から剥がれた。羊の体はまだ温かく、皮を剥いてなお体温を感じた。そうして露わになった内臓を食べられるものと、食べられないものに分ける。と言っても殆ど残さずに食べるし、食べられない部分は飼い犬にあげるから捨てるものはない。

 パンパンに膨らんだ胃を切り取ると、中のガスが噴き出し、一気にしぼむ。強烈な腐臭が辺りを漂った。胃袋からは、消化しきれていない草が見える。おれは動かなくなった羊の頭を抑えて固定して、空いた手で解体作業を手伝った。さっきまで生きていた羊が、焼き肉屋で食べるような、見覚えのある部位に分けられていった。匂いは次第におさまったが、草原の中で作業するものだから夥しい数の蠅が集まってくる。あまりに多いときは、手で払いのけながら、黙々と作業が進んだ。

 解体が進むと、お婆さん達がやってきて内臓を水で洗う。屠殺が終わった後は、家族一丸で作業を進めるのだ。どこもかしこも蠅が寄ってくる中で、内臓を洗い、綺麗にした腸に血を詰めたりした。ちびっ子は羊の解体など気にもせず、隣でボール遊びなどしていて、これは日常なんだなと当たり前なことを思った。

 それから、しばらくして茹でた羊肉に塩を振って食べた。臭みは全然なく、また羊の姿を思い起こして気持ちが悪くなることもなく、肉はただうまかった。初めて羊を殺して、すぐに食べることに葛藤が起きないくらいには、おれの感性は鈍かった。ただ、その映像や匂いはやけに残っていて、どこかで思い起こすかもしれないと思った。

                                    つづく